日曜日の午後、動物好きの夫が1987年の映画「ハチ公物語」を観ると言ってテレビをつけました。私はあるところから依頼された投稿文を書きながら観ていたのですが、なんともレトロな雰囲気。ハチ公は大正から昭和にかけての話で、渋谷駅にあるハチ公の像は外国人も知っているらしく、夫は仕事関係のアメリカに住むアメリカ人から「モンブサン、ハチコウ、シッテマスカ」と言われたとか。
ハチ公の話は有名なので誰でも知っていますが、ウィキペディアでハチ公が生きた記録を読むと、それだけでウルウルなりそう。主役の秋田犬がかわいらしく、その「名演」に気持ちが大きく揺さぶられました。
私は映画を観ながら「かわいそう」を連発。しかし、私の気持ちは悲しい出来事に「かわいそう」と思っているのかと自己分析してみると、そうではないようなのです。むしろ、飼い主とハチ公の愛の交流に私の魂が揺さぶられたのだと感じられました。
メロディアスなキルタンを聴くと、時々ウルウルなることがありますが、ドクター・パルタップによると「それは魂が喜んでいるからだよ」だそうです。ハチ公の映画もそんな感じでした。魂と心がきれいになった感じ。
人間は記憶力と想像力があるから苦しむのだと、ジヴァのヴェーダ哲学者であるサッティヤナラヤナ・ダーサ・ババジは書いています。過去の記憶があるから苦しみ、起きてもいない未来の困難に対する想像力があるから苦しむのだというのです。その通りだと思います。
動物も記憶するのですが、記憶が持続される期間はきわめて短期間だと言われています。。ストレスについてよく引き合いに出されるのがシマウマです。仲間のシマウマがライオンの餌食になったとき、ほかのシマウマたちはストレスを感じます。しかし、記憶が短時間しか続かないので、しばらく経つと何事もなかったように心は平静に戻るのだとか。一方、人間は記憶する時間が長いので、悲しい出来事の記憶が継続し、ストレスが長期にわたるのだと言われます。長期間のストレスがいろいろな病気を生むのです。
ところが、ハチ公の記憶は10年以上続きました。10年以上、毎日渋谷駅に行って、飼い主を待ち続けたのです。もし短い間に飼い主の記憶が失われていれば、ハチ公はもっとラクな暮らしができたかもしれません。
ハチ公は動物として特殊だったのでしょうか。そうでもないような気がします。動物病院で痛い注射をされた記憶は動物にも残り、病院に行くのを嫌がったりしますよね。20年ぶりにかつての飼い主と再開して大喜びする犬の話もよく聞きます。
人間には記憶の倉庫である「チッタ」があります。動物にもチッタが備わっているのかもしれません。チッタは魂とセットです。魂が新たな体に宿るとき、チッタも一緒に宿ると言われています。動物にチッタがあるなら、それとセットの魂もあるはずです。すべての生物は魂なのですね。
ドクター・パルタップは「魂とは人間を動かしてくれているエネルギー」と説明しています。これは「魂とは生物を動かしてくれているエネルギー」と言い換えることができるかもしれません。
アーユルヴェーダカウンセラーもセラピストも、人や動物を癒すということは、生物として機能させてくれている魂(エネルギー)を癒すという視点を忘れてはならないと改めて思ったのでした。
写真は松竹さんからお借りしました。
★Dr.パルタップ・チョハン・ウェビナー★女性の生涯にわたる健康と美とウェルビーイング(3/12, 3/19)
★Swastha Program~アーユルヴェーダと現代ヘルスサイエンスの統合