「忘れること」と「忘れないこと」

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10年前の今日、私は北海道にいました。滞在していた市の市役所にいたとき、比較的大きな揺れがありました。かといって立っていられないほどの揺れでもありませんでした。しかし、この地震が東北地方で起きただろうことを咄嗟に感じました。数日前に東北で大きな地震があったからです。宿泊場所に戻ってテレビをつけると、津波に畑や家が飲み込まれていくシーンが目に飛び込みました。

私は当時、外資系企業のある部署でビジネスマネジャーを務めていました。会社に電話しましたがつながりません。携帯もつながりません。5-6時間経ってようやく連絡がとれました。帰宅した人もいればオフィスで夜を明かす人もいるという連絡をうけました。

翌日、東京に帰り、その日から地震対策ミーティングが毎日行われました。外資系なので外国人社員が多くいましたが、ほとんどの外国人社員は帰国しました。トップマネジメントたちだけは残っていました。ここで帰国すると出世に響くのだろうと思いました。日本人女性と結婚している人たちは妻をおいて帰国する人もいました。「離婚するだろうな」とウワサされたものです。原発事故がなければ事態は違っていただろうと思いますが、原発からの放射性物質の拡散により、部署内は一層重苦しい空気で押しつぶされそうでした。ビジネスマネジャーという役職柄、平然とした様子を示さなければなりませんでしたが、泣き出す女性社員などをみると心の中は平然とはしていられませんでした。

そんなことを思い出し、今なお苦しんでいる人達のことを思うと、今日は心が苦しく、涙が止まりません。

日本人は恨みを忘れやすいと言われています(カファ体質は忘れにくく、粘着質なんですけどね)。日本は災害列島です。つねに天災に見舞われます。物や生活は築いては壊れ、築いては壊れの連続でした。こうした環境に置かれると「忘れないと仕事ができない」のです。「忘れないとやってられない」のです。「昨日は昨日、今日は新たな日」という心持ちで暮らしてきたといいます。それが「こんにちは」の挨拶だそうです。

一方で「忘れないこと」もあります。東日本大震災はその一つでしょう。この大震災にまつわる話で忘れられないことがあります。大震災から数年後にジヴァのインド哲学者であるサッティヤナラヤナ・ダーサ・ババジが日本でヴェーダ・リトリートを行いました。素晴らしいリトリートでした。そこでババジは「東北大震災はカルマだ」と言いました。参加者たちは「東北の人達はなにも悪いことをしていない」と反論しました。ババジは「これは集団カルマである。前世は一世代前とは限らない。前前前前前世で何をしていたかはだれにもわからない」と答えました。インド哲学が説くカルマへの理解度が血となり肉となっていない日本人にとっては、半分理解ができて半分理解ができないことです。これも「忘れないこと」の一つです。ちなみにコロナ・パンデミックも集団カルマですって。

昨日は「寺子屋シャーラ静岡」に参加しました。龍津寺ご住職のお話が素晴らしかったです。ご住職は小学生が描いた「健康神」の絵をみせてくれました。素晴らしいものでした。素直でクリエイティブな健康の神様の絵です。絵の全体をお見せできないのが残念です。まさにダンヴァンタリ神だと思いました。 子供たちは人間本来の神性が強く表れるのですね。 寺子屋シャーラ静岡は毎月第2水曜日にオンラインで開催しています。

寺子屋シャーラ 静岡
寺子屋シャーラ 静岡 - 「いいね!」195件 - 江戸時代には日本が世界に誇れる教育インフラ、寺子屋がありました。

震災で命を落とした方、今なお苦しんでおられる方の心が休まるときが来ますように。

★ジヴァ・アーユルヴェーダドクターによるオンラインコンサルテーション

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