生徒さん達からこんな質問をよく受けます。
私の知り合いに、いつもエネルギッシュな人がいます。会社を経営していて、つねに活動的で、エネルギッシュな話し方をします。ピッタですよね。
私は「わからない」と答えます。ピッタは火の質なので、熱い話し方をし、イライラし、短気で、人を非難ばかりしている人はピッタだと思われがちです。
そもそも「ピッタですよね」の意味はなんでしょうか。もちろん「ピッタが優勢」という意味ですが、生まれたときに決まる「プラクリティとしてのピッタ体質」と、いろいろな要因によって後天的にピッタが増悪する「ヴィクリティとしてのピッタ優勢」があります。多くの人がこれを混同しています。上記の人の話を聞いて、「プラクリティとしてのピッタ体質」なのか「ヴィクリティとしてのピッタ優勢」なのか、どちらかわかりますか?わかりませんよね。アーユルヴェーダを知れば知るほどわからなくなります。
そうは言ってもプラクリティもヴィクリティもドーシャの話です。見分けるのはむずかしいですがドーシャつながりです。しかし、「エネルギッシュで、つねに活動的で、エネルギッシュな話し方をする」がピッタによるものとは限りません。心の質(トリグナ)の一つである「ラジャス」のせいかもしれません。心の質には「サットヴァ、ラジャす、タマス」の3つがあります。
ラジャスが多い人は、行動がダイナミックで、強い支配力をもっています。知性は中程度、記憶力はいいとは言えません。受けのよい職業や高価な物で自分をひけらかす傾向があります。ラジャシックな人にとって権力、名声、認知度は最も重要なものです。
自分がもっているものに飽き足らず(足るを知らない)、「もっとほしい」という欲望が尽きません。欲望や、グルメ・贅沢品・香り・音楽・セックスなど感覚器官の喜びに溺れるきらいがあります。しかし、一つのことに対する関心は長続きしません。
う~ん、会社経営者や政治家に多い心の質ですね。ヴェーダ哲学の珠玉の経典『バガヴァッド・ギータ』によると、普通の人間の心はラジャシックなのだそうです。ラジャスは行動の質です。サットヴァもタマスも行動の質ではないので、100%サトヴィックな人はヒマラヤの山頂で瞑想ばかりしているかもしれません。タマシックな人は寝てばかりいるでしょう。行動に向けて背中を押してくれるのはラジャスです。
いい感じにラジャスをもっていることは必要ですが、過剰に心がラジャスに傾くと、権力と名声ほしさにお金をばらまいた議員にようになってしまうかもしれません。
ピッタの質とラジャスは似ていますが、まったく別の概念です。アーユルヴェーダは「心の強さを得るためにはサトヴィックでなければならない」と言っています。アーユルヴェーダを知れば知るほど、その奥深さを感じます。